Palm84 某所の日記

死のうは一定、しのびクマには何しよぞ...

中毒かなぁ...

いやー、自分の文章の「痛さ」に辟易しちゃってもうなんか書くのいやだなぁとか思ってたんですけど、やっぱりだめみたいです。そう言えば去年の今頃もインターネットやめたいとか考えてました。まぁ自意識過剰ってやつなんですけど、web上で私の別人格が一人歩きしてるみたいな感覚があったので。他人に命令できるような人間ではないのに知らず知らずのうちにしちゃってる自分が嫌に思ってたり。

まぁこんなこと考えてしまう私は「なんて精神年齢が低いのか〜」とか嘆息してみたり。(外見もそうなのですが...w)普通の人より一回りほど精神的な成長が遅いのかもしれません。

20代の頃は昼食時などに漫画本とか読む人を不思議な目で見てました。私はと言うと飯食いながらでも仕事の資料とか読んでましたから。今から考えると自分に自信がない上での「焦り」だったのかもしれません。知識や経験はもちろん重要であるのですが、それ以前に人間としてのごく普通の感情や「力」がなかったのだからなのだろうなと思います。

※まぁ昼食時は時間が限られるので長い話は避ける、ってこともありますけどね。

基本は「人間性」ってことですね。(月並みすぎてごめんなさい...)

んー例えばですけど、会社の命運を左右するような商談の日に身内が危篤状態になったらどうするかとか?

説得は必要かもしれませんが、これの答は間違いなく後者をとるべきですよね。と、今ならはっきり言えますけど昔の私なら違ったかもしれません。

(話はどんどんずれて...汗...)、最近のいわゆる「ライブドア・ショック」の報道を見ていて不安に感じるのは、マスコミやいわゆる評論家達の意見は”個人攻撃”になりつつあるってことです。もちろん不正は不正であって解明すべき(※でもほとんど「疑惑」レベルな気もします...「疑惑」でもTVで報道されちゃったらほぼ事実になっちゃいますよね)だとは思いますけど、堀江氏の人格云々とは分けて考える必要があるのではと(※マスコミの「一方的な」報道のみで個人の人格を語るのはかなり危険であるとも思いますし..)。また、マスコミの報道が個人に向けられた際には明らかな「凶器」になりうるということも常に意識しておくべきかと。ごくごく些細な事実から「レッテル」が貼られてしまう事も多いですよね。マスコミ側が全面的に誤りを認めない限り一度貼られた「レッテル」をはがす事は困難なのじゃないでしょうか?

んーまたまた例えばですけど、この”個人攻撃”がフジテレビの社長に対して(悪意はなかったとしても)行われたとしたらどうなるでしょう?ライブドアに対して「闇」なんて報道をしているわけですから、ご自身及び会社には一切「闇」はないのは当然至極としても、事実のみを列挙したとしても、なんらかの形で「レッテル」が貼られてしまうのは避けられないのではないのではないかなと思ったり。

※「松本サリン事件」でマスコミに容疑者に祭り上げられてしまった方への謝罪はどのようなものだったのかなと思います。「疑惑報道」が間違った場合に「レッテル」を剥がすことが可能なのはマスコミによる大々的な「是正報道」しかないと思います。また、報道に誤りがあった場合は永久的に、未来永劫、被害者に対して償いを続けるべきだと私は思ってます。心の傷は消せませんからねー。