窓の杜サイトの“Firefoxプラグイン”問題

直接的な意見ではないのですが、私が感じた事を書いてみます。

「Firefox」で可能な機能拡充には、大きく分けて2種類がある。1つは、表示しようとするWebページが提供するすべての情報を表示するための機能追加である“プラグイン”。そして、プラグインでは追加できない箇所、つまり「Firefox」の操作性などといったアプリケーションの機能を拡張するためのものは“エクステンション”や“拡張機能”と呼ばれている。どちらも「Firefox」の機能を拡充するという点では同じで。一般的なソフト利用者が違いを意識する必要はない。また、IEなど他アプリケーションでは拡充機能全般のことを一般的に“プラグイン”と呼んでいることもあり、窓の杜では、その違いを意識せずに「Firefox」を利用してほしいという観点から、他アプリケーションと同様に「Firefox」の拡充機能全般を“プラグイン”と表記する。

“一般ユーザーに対する配慮”という大義名分は、それ自体は(あくまで一つの意見としてなら)正しいものと言っていいかもしれません。でも、自分にとって正しいことが他者にとっても正しいとは限らないというのはごく当たりまえのこと。唯一の正しい答えなんてものが常にあるのなら民主主義なんかいらなくなります。

一般的なソフト利用者が違いを意識する必要はないと「断言」してしまうのはよくないと思います。なので、「配慮」と言っちゃっていいのか少し疑問はあるのですが。

【追記】“違いを意識せずに”使用すれば不都合出まくりになるはずです。この辺のことは実際に使ってみたら誰でもわかることだと激しく思われるのですが...

一般ユーザーに対する“配慮”ができる窓の杜だからこそ、他者への“配慮”も欲しかったと思ってしまうのです。他者というのは、この場合 Firefox 関係者、開発者や既存ユーザーです。あっと、未来のFirefoxユーザーも含まれるような気もかなりしますね。

※窓の杜サイト側が「紹介したるんやから」的な姿勢なら話は違ってきます。そんな態度な方に“大人の対応”なんて望めないと思いますから。

「大義名分」は耳に馴染みやすくストレートに受け入れやすい面がありますが、逆にひとつの点のみをクローズアップして線を見えなくしてしまう欠点もあると私は思います。(「プロパガンダ」とかはそうですよね。あっと、もちろんこの件はそんな大袈裟なものではありませんが。)

んで、話は脱線しますけど(すみません、いつものことです。汗)、TVニュースなど見てると私自身もおかしな「大義名分」やらレベルの低い「煽り」に踊らされてたりするなぁと反省する事しきりだったりします。事件の当事者の「豪邸」とか本質とは関係ない報道とか多いですよね。事件は事件としてもその私生活な部分にまで踏み込んでいかにも風な解説とかって、人間的にはどうなんでしょ。それに慣れてしまって無感覚になってる自分こそもっとも憂慮すべき対象ではないのだろうか...なんちって。