Palm84 某所の日記

死のうは一定、しのびクマには何しよぞ...

報道ってどうあるべきなのだろう

老朽化が著しい脳味噌をオーバークロック*1して考えてみた。明日あたりコンデンサが液漏れするかもしれません。

ジャーナリストに使命なんてものがあるならば*2、真実あるいは事実を脚色なく正確に伝えるってことでしょうか。

でも私が報道関係者だったら、理念を守ろうとか心がけていてもこんなことしてしまうかもと思います。

例えば、企業が被害者が存在するような不祥事を起こした釈明会見の席で「いや〜ちょっとしたミス」てな風に軽率な発言をしたとします。普通なら、問題発言ですから大々的に報道すべきだと思います。でも、私なら報道しないというかできないです。それを聞いてしまった被害者がかわいそすぎます。その場で説教かまして*3、反省文と始末書を書かせた上(大げさ)で、やり直しを要求します。ジャーナリストとして思い切り失格だと思います。自分自身にはこう言い訳するのです。「ジャーナリストである前に、一人の人間であることを心がけたい」なぁんちって。ジャーナリストってそんな甘い仕事じゃないですよね、たわ言ですね、すみません。

まぁ、何にせよ情報ってやつの価値を決めるのは最終的には自分自身の能力に関わるかなと。情報と知識の違いを常に意識しておかないとってかんじですかね。常に自分の頭を使うようにしないとどんどん脳味噌が老朽化して行って*4私のようになるというオチ...でいいでしょうか。ナニ言ってんだか。。

*1:なんか懐かしい言葉だったり...w

*2:「仮定」にしてるのは、子供のミルク代の為に苦渋の決断で悪魔に魂を売ってしまった、なんて行為は法的には駄目でも心情的には免罪されていいと個人的には思います。勿論その影響次第な面も否定できませんが。

*3:こういう場面では「あんた人のこと言えんやろ」的な批判は無視します..w

*4:思考停止ってやつ。誰それが言ったからこうだなんて答えだと思うのは楽です。人生楽すべきだと私は思いますけど、そのためには脳味噌に楽させないようにしないといけないのかも